上座部仏教

タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー、バングラデシュ、スリランカなどの熱帯アジアに分布する南方仏教は、日本では小乗仏教と呼ばれることが多かったが、これは大乗仏教側からの差別的呼称なので、現在では上座部仏教(上座部仏教・テーラワーダ仏教)と呼ぶのが適当とされているのだけれど、日本ではいまだに小乗と呼ぶ人が跡を絶たない。すでに1952年の世界仏教徒会議で小乗と呼ばずにテーラワーダと呼ぼうという決議がなされている。

上座部仏教はブッダ在世当時の仏教教団の形をほぼ忠実に継承していると考えられていて、上座部のお坊さんは227ヶ条の戒律を厳しく守っていることで知られている。日本人でも明治以降にはアジアで上座部仏教僧として得度する人が出てきた。

元軍人で「シャム・ラオス・安南 三国探検実記」の著者である岩本千綱も明治29(1896)年から翌年にかけて、僧侶の姿でインドシナ方面を探検旅行している。同書を読む限りでは正式に得度したかどうかはわからないが、僧体であるにも関わらず、随分無茶な振る舞いをしたようだ。

その後は日本で僧侶をしていた人が、修行や研鑽のために上座部仏教国に留学するパターンが多くなる。ただし初期に留学した僧侶の手記などを見ると、上座部仏教や現地の人々を見下したような記述が無きにしも非ずで、1950年代に日本のプロのお坊さま方がミャンマーで修行した様子を描いた「ミャンマー乞食旅行」(遠藤祐純著・ノンブル社)ですら、大乗仏教僧である著者の複雑な感情が行間に読み取れなくもない。

近年ではプロのお坊さんだけでなく、学者が研究のために得度したり、全くの一般人が純粋に発心して得度する場合が増えており、中にはタイのプラユキ・ナラテボー師やアーチャン・カベサコ師(※カベサコ師は、2013年6月に還俗されました)のように、タイ人からも篤く帰依されている立派な日本人上座部僧もいる。

そうした本格的な出家でなくても、観光ビザの滞在期間内での一時出家程度なら、インターネットで情報が入手しやすい昨今では、方法さえわかっていればそう難しいことではないためか、近頃では「地球の歩き方」のコラムなどにも、アジアで出家した旅行者の体験談が載っていたりする。

上座部仏教の戒律

戒律の厳しい上座部仏教国では、僧侶の戒律違反、法律違反は大きなニュースで、時には日本のメディアに紹介されることもある

例えば古い情報ながら、1996年10月10日付朝日新聞や、2000年10月27日付asahi.com にもそうした記事があった。古い情報を敢えてここに残しておくのは、インターネットが普及していなかった当時の希少な例を記録しておきたいからだ。

最近の日本のインターネット上には以前より遥かにそうしたニュースや書き込みが多く見られるが、石井米雄氏が「タイ仏教入門」(めこん)で説くように、タイの仏教には独自の自浄作用があるためか、日本に比べれば遥かに「お坊さんらしい」僧侶が多いことは言うまでもない。

学者の出家

ミャンマーでの3年間の出家体験を基に「ビルマ仏教」(法蔵館)を著した池田正隆師や、同じくミャンマーでの2週間の体験を基に「ビルマ仏教 その実態と修行」(大蔵出版)を著した生野善応師は学者であると同時に僧侶でもあるが、「タイ仏教入門」の石井米雄氏や「タイの僧院にて」(中公文庫)の青木保氏は純粋な学者であり、特に「タイ仏教入門」は平易な文章でタイ仏教を解説した名著だ。「タイの僧院にて」はタイトルこそ有名で、内容もそれなりに詳しいから、執筆年代が古い割には、今でもタイで出家を考える日本人の役に立つ内容ではあるが、少々自意識過剰気味な文章がちょっと気にはなる。

なお、「タイ 自由と情熱の仏教徒たち」(三修社)の著者である山田均氏にも得度経験があり、氏の「タイこだわり生活図鑑」(㈱トラベルジャーナル)にはタイの仏教事情が簡潔に紹介されている。

歩き方の出家体験記

これもちょっと古くて、インターネットが今ほど普及していない頃の記事ではあるが、「地球の歩き方 ラオス 2002~3年版」(ダイヤモンド社)200頁に、出家体験コラムが載っていた。