日本人上座部僧

2013年6月に還俗されたアーチャン・カベサコ師は、俗名柴橋光男氏。師については「タイ現代情報事典」(ゑゐ文社)160ページにも記載があったほどで、当時はタイ人にもよく知られた存在でいらっしゃった。私がタイでテーラワーダ僧として修行中、ある在タイ日本人の信者の家で師と同席させて頂いた時、私が日本では天台宗の僧侶だと自己紹介させて頂くと、タイの瞑想と天台の止観は似ているのでは? と仰っておられたものだ。

タイのチャイヤプームにあるワット・パー・スカトーというお寺で副住職を務めるプラユキ・ナラテボー師(俗名坂本秀幸氏)はバンコクのチュラロンコン大学大学院留学中の1988年に出家された。私はタイでの修行中に師と知り合い、タイ仏教に関して多大なご指導を賜った。

日本からプラユキ師の許を訪れて瞑想修行に励む日本人が増え始めた当初、その活動の一部は「老病死(いのち)の寺」(須田治著・川辺書林)や「仏教・開発・NGO タイ開発僧に学ぶ共生の智慧」(西川潤、野口真理編・新評論)といった本にも紹介されていたが、2007年末に「気づきの瞑想による苦しまない生き方」(佼成出版社)という本の監訳をされ、また、2009年8月に「気づきの瞑想を生きる」(佼成出版社)をご自身で著されたのを皮切りに、何冊もの著作を発表されるようになってからは日本にもその布教の場を広げ、今や押しも押されぬ日本人上座部僧の第一人者として活躍されている。

 


 

プラユキ師とも親交のあった故チンナワンソ藤川師には「タイでオモロイ坊主になってもうた」「オモロイ坊主のアジア托鉢行」(共に現代書館)の2冊の著作がある。それ以前には、タイのワット・ポンケウという寺を拠点に、「人生の指標としてのブッダの教え、知恵…テーラバーダ(上座)仏教…」という小冊子も出されており、その独特の経歴と豪快な個性で知られていたが、2006年頃より日本に拠点を移された後、2010年2月24日に惜しくも遷化された。

真言宗の僧侶であった渋井修氏はタイのワット・パクナムで得度後、カンボジアのプノンペンにあるワット・ウナロムというお寺で日本語教室を開いておられたが、現在は還俗し、在家のままで活動を続けておられる。私はカンボジア巡礼の折、まだ上座部僧でいらした氏の僧坊に泊めて頂き、教室の子供たちにも大変お世話になったことがある。氏には「素顔のカンボジア」(つむぎ出版)という著作もある。


渋井氏が得度したワット・パクナムは日本人を含む外国人をたくさん受け入れていることで知られているが、インドに帰化してナグプールで新仏教徒を指導している佐々井秀嶺師も同寺で得度してからインドに渡られた。また1999年に放映された「青春探検 アジアシリーズ③ 仏陀の心に触れたくて ~タイ・修行僧~」という番組で紹介された高慢な青年もワット・パクナムに居た。実は私もワット・パクナムで修行したのだが、「タイの僧院にて」(青木保著)には「日本人僧がよく滞在するトンブリのワット・パクナムに行けとも言われたが、私はバンコクでみかけるプロの坊さまの姿にはよい印象をもっていなかったので断った」というくだりがある。大きなお世話だ。

バンコクにあるワット・リアップというお寺には日本人納骨堂があり、高野山真言宗のお坊さんが任期3年を目処に、上座部僧として得度した上で、納骨堂の管理に当たっておられる。このお寺は旧日本軍の辻政信元大佐が僧侶に変装して潜んだことでも知られており、馳星周氏の小説「マンゴー・レイン」(角川文庫)にも登場する。辻政信に関しては辻自身の著作「潜行三千里」(毎日ワンズより2016年に復刊)や「辻政信と七人の僧」(橋本哲男・光人社NF文庫)といった本を参照のこと。またバンコク日本人納骨堂については「仏教をめぐる日本と東南アジア地域」(大沢広嗣 編・勉誠出版)の中の「タイへ渡った真言僧たち」という記事が詳しい。


2003年7月17日付その他の「仏教タイムス」によれば、バングラデシュのチッタゴン近郊にあるマハムニ村に日本人僧が開いた母子寮があり、福井宗芳師という日本人上座部僧の方が事業を継承されていたが、惜しくも2007年10月に急逝された。師は2005年に在バングラデシュ日本大使館のホームページに、バングラデシュ仏教についての論考を投稿されていた。

 

テレビ東京が2003年に放映した「幻の大地 ビルマの竪琴から58年ミャンマーに生き抜く日本人のマル秘感動人生」という番組で、ミャンマーのウィンセンタウヤにあるパーアゥタヤ寺院(パオ森林寺院)のスダンマチャーラ比丘(俗名山下良道氏)の修行生活が紹介されたが、師は2005年以降、日本を拠点に積極的な布教活動をなされている模様。

ついでながら、漫画家の西原理恵子氏も「鳥頭紀行・くりくり編」(角川書店)の中で、ミャンマーで得度しているが、共に修行した元夫の故鴨志田穣氏にはタイでの出家体験もあり、きっと他の日本人上座部僧にはない貴重な体験をたくさんお持ちのことだったろうと思う。