アジアの坐蒲

 台湾の空港にある仏教徒用の祈祷室の坐蒲。

タイのお寺の授与所で売られていた瞑想用クッション

のチラシ

「台湾 法鼓山の坐蒲」☝ 

仏光山、中台禅寺、慈済功徳会と並ぶ、現代台湾の四大仏教宗派に数えられる法鼓山。

その桃園別院・斎明寺で上のような坐蒲を購入させて頂いたが、坐蒲に付いていたタグも素敵だ。

ちなみに、斎明寺境内は他の法鼓山別院に比しても、特に静かで素晴らしい。


坐蒲(ざふ)というのは、坐禅の時に使う丸いクッションのことだ。

足の長い体型のインド人は、子どもであっても簡単に結跏趺坐で坐ることができるから、本来、結跏趺坐という坐り方は無理して坐る特殊な坐法だったのではなく、インド人にとっては、ごく普通に安定して坐れる坐り方だったのだろうと思う。

ところが、インド人のように足の長くない中国や日本などの東アジア人の体格では、坐禅の坐り方である結跏趺坐や半跏趺坐が辛いので、我々が楽に正しい姿勢で坐るために、おそらく中国で坐蒲が開発されたのではなかろうか。  

天台宗のみならず、その後の禅宗の坐禅の規範ともなった「天台小止観」には坐蒲についての記載はまだないが、日本の道元禅師は「普勧坐禅儀」の中で坐蒲について記しているから、中国の宋代には既に坐蒲が使われていたことが分かる。

 

さて、現在の東南アジアのテーラワーダ仏教諸国ではどうかと言うと、坐禅瞑想の時には、坐蒲も使わないし、坐相にも余りこだわらない。一般的には、背筋も伸ばさなくていいし、足もごく緩めの半跏趺坐だ(但し、テーラワーダ比丘であるタイのプッタタート師の「観息正念」の第2章の「坐る姿勢」の中には、「この場合、尻の下に敷く小さな厚めの座布団が必要である」と書いてあるし、プッタタート師以外にも、中国や日本の坐禅並みに、きっちりと背を伸ばして坐ることを勧める比丘の方もある)。

日本で天台宗のお坊さんとして坐蒲を使い、姿勢も正して坐禅をしていた私は、初めてタイのお寺でテーラワーダ式の瞑想を教えてもらった時に、姿勢を正さなくて良いことに衝撃を受けた(今は知らないが、昔は日本の禅僧の方などの中に、南方の坐禅はたるんでいる、みたいに感じる方もおられたようだ)。

曹洞宗寺院で頂いた「ほとけ信仰から坐禅への道」という古い坐禅冊子や、曹洞宗僧侶の方に頂いた、藤田一照師が曹洞宗宗務庁から出された僧侶向け新刊資料「坐禅読本」(2017年3月31日発行)などにも坐蒲の一般的な使用方法が記されてはいるが、名僧とされた沢木興道師の坐禅指導書の中には、坐蒲を使用することが如何に大事かが、懇々と説いてある物があったりする。

それはそれとして、とりあえず、我々日本人にとって坐禅の姿勢は、中国や日本の坐禅式に、坐蒲を使ってある程度きっちりと坐った方が、やはり心は調いやすいと私は思う。

 

 

※「坐蒲」の表記には、「坐蒲」「坐布」などが混在しているが、曹洞宗の公式ホームページの表記は「坐蒲」だ。

 

※臨済宗の坐蒲は長方形だそうだ。「佛教語大辞典」(東京書籍)には「坐蒲」の項に、曹洞宗は丸型、臨済宗は布団を畳む型だとあり、また別に「坐圃」(ざふ)の項があり、「日本では円形だが、ヴェトナムでは長方形の一方の辺が長い物を使うから疲れずに坐禅が出来る、また北宗禅である中国の蛾眉山では、代々、坐圃を使わずに坐禅する」といった意味のことが書いてある。

 

※現今、天台宗では専用の坐蒲を使うことは少なく、一枚の座布団を敷いて、もう一枚の二つ折りにした座布団を尻の下に当てる寺がほとんどだ(曹洞宗の坐禅指導書などにも、坐蒲がない場合は二つ折り座布団でも良いと書いてある)。「天台小止観」が書かれた時点では坐蒲についての記述はまだなく、「縄床」に坐すとだけあり、現在の天台宗の法儀集や止観作法には、「縄床」に坐すのが本来ではあるが、近来は多く座布団を用いる、などの記述が見える。

 

※インドのブッダガヤの日本寺では旅行者も参加できる坐禅の時間があって、坐蒲を使用した日本式の坐禅を指導している。ブッダガヤの町では見よう見まねでインド人の仕立て屋さんが仕立てた坐蒲も売られており、お気に入りのマイ坐蒲を持ち歩く西洋人旅行者もいて、ブッダガヤに限っては、テーラワーダ仏教やチベット仏教の寺院であっても、坐蒲の使用を見かけることがある。