アジアの仏像

アジアの変わった仏像

スコタイ美術を代表する「遊行仏(ゆぎょうぶつ)」と呼ばれるタイの仏像は、片足の踵を上げた感じで優雅に歩くお姿で、スコタイだけではなく、バンコク周辺やタイ全土のお寺でも、よく目にする形状の仏像だ。

タイ語では、プラ・リラー(プラ・リーラー)とも言うのだが、その優美なお姿が大好きだと、サイトやブログに書いておられる日本人の方も、結構多くいたりする。

上の写真はタイ・ピサヌロークの仏具屋さんで見た等身大のプラ・リラー像。

 

さて、変わった姿勢をされている仏像と言えば、日本では、京都・永観堂の「みかえり阿弥陀」が有名だ。

東南アジアと違って、寝姿である臥像の仏像すら少ない日本の仏像の中で、

左に首を向けたみかえり阿弥陀さんのお姿は、とても印象的だ。写真は永観堂で授与されている、みかえりさんのお姿。


ミャンマーには、首をひねって上方を見上げた姿の、シン・ウパゴゥ尊者像がある。

写真はタイのメー・ソートと隣り合う国境の町、ミャンマーのミヤワディのお寺におられたシン・ウパゴゥ尊者だ。

「ビルマ仏教」(池田正隆著・法蔵館)という本によれば、シン・ウパゴゥ尊者は海中の宮殿に住んでいて、午後に食事を取ってはいけないという、上座部仏教の戒律を破らないよう、常に太陽の位置を確かめるべく、海面を見上げているために、首をひねっておられるんだとか。


仏像にはなぜ髪があるのか

ブッダはお坊さんだったから、きっと頭を剃っていたはずなのに、現存するすべての仏像には髪の毛がある。もしやブッダは剃髪していなかったのだろうか?

最初期の経典「スッタニパータ」には、他宗教の行者がブッダの姿を見て「この人は頭を剃っている」と言う場面が2か所あり、その内の1か所でブッダ自身が「私は家を出て、袈裟を身に着け、髭と髪を剃っている」と述べている。

水野弘元博士は「釈尊の生涯」の中で、こうした記述があるのに仏像に髪があることをどう解釈したら良いかわからないと言っておられるが、中村元博士は「ブッダのことば スッタニパータ」の中で、後世の仏像と違ってブッダは頭を丸めていたのだとはっきり書いている。

だから問題の核心は「ブッダは剃髪していたかどうか」ではなくて、「ブッダが剃髪していたにも関わらず、なぜ仏像には髪があるのか」なのだ。大乗仏教圏であれ、テーラワーダ仏教圏であれ、仏像にはすべて髪があるし、もっとも古いとされるマトゥラー仏やガンダーラ仏にも髪がある。マトゥラー仏とガンダーラ仏のどちらが古いかという議論があるが、遠く離れた場所でほぼ同時期に生まれた様式の違う2種類の仏像の両方に髪の毛があることの方が、余程問題だと思う。

仏像の発生以前に、髪の毛のあるブッダの姿に関して何らかの先行するモデルか資料があったのだろうか。或いは、剃髪した仏教僧を実際に見たことのない人々が、現代のヒンドゥー教のサドゥーのような当時の行者の螺髪(らほつ)を見て、仏像を制作したのだろうか。もしも仏像に髪のある理由がわかったならば、仏像誕生の謎も、きっと同時に解けるに違いない。